イヤイヤ期と聞いて思い浮かぶのは、魔の2歳児。
赤ちゃん卒業したてのような言葉の拙い2歳の小さな反抗。
私もそんな魔の2歳児のイヤイヤ期のうんざりした一人です。
何をするにして「イヤ!」としか答えない我が子をどうしてくれようかと悩んだ時期もありました。
だけど、3歳にもなろうかという時期には、言葉で伝える手段を覚え、「イヤイヤ!」いう時期は徐々に落ち着いてきました。
それから2年・・・。
もっと面倒なイヤイヤ期に直面しようとは思ってもみませんでした。
現在5歳の我が子のイヤイヤ期をとくとご覧あれ。
5歳でイヤイヤ期が来るなんて聞いてない・・・
幼稚園でも年少さんから年中さんになり、幼稚園でも一つお姉さんになった5歳の我が子。
話す言葉も大人も面食らうような事を言うようになり、子供の成長を感じていた頃。
何だか子育てに違和感を感じるようになりました。
「なんだろう・・・うまくいってない気がする」
何がという事もなく漠然と上手くいってない気がしていました。
子育てにおいて「正解」というものがないのは、この5年間でイヤという感じてはいたはず。
だけど、そのない「正解」を求めてしまいたくなるほど、我が子との関わり方がわからなっていました。
こういう時にはこうすべき、こうなったらこう言うべきというのは頭でわかっていながら何も出来なかったのです。
「お片付けしてー」
と言っても2歳の頃だと
「イヤ!」
と言うだけだったのに
「なんで?これ出したの私じゃない。この前友達が出したんだもん。ママはなんでその友達に言わないの?」
言葉が達者すぎます。
私も一瞬感心してしまう程のまさかの語彙力。
子供の語彙がこんなにも成長した事を感心すると同時になんでこんなにも素直じゃないんだとイライラが募ります。
だけど、どこかで子供が言っている事も正論である気もしていたのです。
その証拠に自分が出したおもちゃであれば素直に片付けます。
しかし、自分のおもちゃである以上、自分の部屋である以上、片付けは自分でしなければいけない事を教えておきたい私。
そんな親と子の攻防戦がはじまり、結果として
「早く片付けなさい!!!」
と雷が落ちて終結するのです。
子供の言葉が達者になればなるだけ、親もその場限りの言葉では通用しなくなります。
自分の考えを持つようになったと言えばそれも成長ではあるのですが、如何せん私だって人間です。
何でもかんでも「イヤだ」「なんで私が」と言われればイラついてきます。
しかし、子供も納得してないまま、親のいう事を聞かなければならない状況に追い込まれ腑に落ちていないと思います。
そう言った事が日々の生活の中で積み重なっていき、漠然とした「子育ての難しさ」に直面していました。
5歳のイヤイヤ期の対処法
そんな理屈を屁理屈を両手に掲げた子供と私はどう向き合っていくべきなのか、私は悩んでいました。
このままでは良くない事もわかっていながらも、どうすべきかわからないまま子供との関係も崩れていくような気がしていて。
何か少しでも変われば、変化があれば子供も話を聞けるようになるのではないかと思い私が考えた苦肉の策。
- 子供の話はまず聞く
- お互いの話は遮らない
- ママに嘘はつかない
- 泣いても解決しない事を伝える
しかし、これもすべて上手くいくわけではありません。
子供が守れない事もあれば親が守れない事もあるのです。
正直に言えば私だって人間です。
イライラしていれば
「もういいから早くして!」
と言いたくもなります。
すると、子供も翌日には
「ママだってお約束守らない時あるじゃん!」と言って来るのです。
もう堂々巡り(笑)
5歳児に対する正しい対処の仕方はわかっています。
- 子供を否定しない
- 子供の意見にはまず共感する
- その場しのぎの事を言わない
など5歳の子供に対してこうすればいい、という事は頭ではわかっているのです。
子供に理不尽さを感じさせてはいけない事や自己否定されるような経験をさせてはいけない事などわかっています。
しかし、自分が親になって出来ない事があると感じると同時に、自分が子供の時に感じた理不尽さを思い出しました。
「どうして大人ならしてもいいの?」
「なんで私はいちゃいけないの?」
など理由を納得出来ないまま私も大人になっているのです。
要するに自分の親も自分と同じように子供への対応に悩み、迷い私を育てていたんだと思います。
誰でも理想通りの子育てなんて出来ていないのかもしれないですね。
いや、実際に完璧にこなしている人ももちろんいるとは思います。
しかし、誰でも完璧な子育てなんて出来ていないと思う事が、子育てに悩むママの救い船になる事は事実です。
「この時期の子育てって難しいよね。」
「みんなそうだよ。迷いながらがんばっているんだよ。」
これも共感。
親が子供にすべき「自己意見への共感」なのかもしれません。
大人子供関係なく自分の意見や感情を理解し受け止めて貰う事は必要な事なのかもしれませんね。
怒るエネルギーと怒りを抑えるエネルギー
子供を怒るってかなりのエネルギーを使いますよね。
私はクタクタになります。
寿命を縮めてるんじゃないかと思うほどです。
それでも子供を怒るのは怒るエネルギーと怒りを抑えるエネルギーのバランスが十分に取れていないせいなのかもしれません。
個人差はあるにしても怒りを抑えるエネルギーの方が少なくて済むはず。
怒るエネルギーの方が少なくて済んでいるのは「怒る」という行為にきっと自分のストレスも含まれているからです。
ストレス発散のはけ口の少ないママは、日頃のストレスは溜まる一方です。
その小さく積みかさなったストレスが子供を怒る時に相まって爆発しているのかもしれません。
子供からすれば、それはそれは理不尽な話。
良くないですよね。
トータルして何が言いたいかというと、子供をついいきおいに任せて怒ってしまうママに必要な事は怒った後の後悔ではありません。
日々のストレスを発散出来る時間を持つ事。
しかもその時だけの発散方法ではダメです。
週に1回など必ず定期的な息抜きが必要なのです。
ストレスは万病の元と私は思っています(笑)
ストレスとは自分の気付かないうちに溜まるものなのです。
少し無理をしてでも子供と離れる時間を作ったり、自分だけの時間を持つ事が大事になります。
私自身、子供を産んでからこの5年間で子供の心配をせずに自分だけの時間を持つ事がどれだけ貴重で大切な事か身に染みてわかりました。
子供と一緒にいない時間でもママの頭の中には、常に子供の存在があります。
当たり前の事かもしれませんが、子供の事が頭から離れる事はないのです。
それがストレスに繋がるという事はないのですが、その分自分を労わる時間がないという事になります。
この5年間、自分だけの時間をどれだけ持つ事が出来たかと言えば本当に数える程だと思います。
しかし、それも見方によっては幸せな事でもあるのです。
自分の事よりも優先的に考える事の出来る存在があるというのは、実は有難い事。
「有難い」というのは「有る事が難しい」という事。
そんな存在が自分の中に有るのは難しいのです。
そんな事言われても実際「子供の存在って有難い有難い」と思いながら生活する人ってなかなかいませんよね。(笑)
日々の生活が大変でそんな事考えてられないから。
だけど、時には「この子の存在って大事だな」と思う瞬間があるといいですね。
「子育ては大変なのは子供の存在が大きいからこそ」
5歳児育児の難しさに直面する毎日ですが、1日に1度くらいは思い出したいと思います。
そして時にはストレス発散にカラオケにでも行きたいと思う今日この頃です(笑)